紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

ゆとり世代の私が考えるオウム真理教

オウム真理教の一連の事件において7名の死刑囚の死刑が執行された。

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私は地下鉄サリン事件が起きた1995年はまだ3歳。9.11事件もまだ起きていない当時、無差別テロ事件は世界に衝撃を与えたに違いない。

一連のニュースを見ても全く共感はできないが

当時の映像を見ていると、とてもじゃないが自分がハマるとは思えない。だが最初はヨガサークルから始まったと聞く。

tablo.jp

ここから社会に反感を持った人物をふるいにかけ、教団へと導く。当時1万人を超える団員がいたと聞くが、そのほとんどが一連の事件に関与していないことを考えると軽い気持ちで入信する人がいるのは理解できる。

多様な人生に乗り遅れる現代人

バブル経済崩壊後の日本社会が若い人たちにそれなりのきちんとした生きがいを与えられなかったのが事件の背景にある

オウム真理教事件 死刑執行|NHK NEWS WEB

現代における20年前との違いは自身の生きがいを自分で見つけなければいけないことだ。結婚して子供を産まなくてもいい、車も持たなくていい、正社員にならなくてもいい。だけどその選択には常に自己責任と言う言葉が付きまとう。

また、昔ほど金や地位が重要ではなく、それらを持たずとも生きがいさえあれば幸福感を持って生きていける。ツイッターのフォロワー数やYouTubeのチャンネル登録数のほうが重要だという人もいるかもしれない。

 

しかしコミュニティからの承認を得るために自分を偽り息苦しさを感じる人たちが増加してしまうのもまた事実だ。

自分の生き方を船に例えるならば現在は昔よりも多数の船が出港しているが、乗る船は自分で決めなければならない。どの船にも乗り遅れた人、またはすでに乗っている船からふるい落とされた人たちを救う救世主として姿・形を変えたオウム真理教のような船が目の前に現れたら乗ってしまう人もいるかもしれない。そしてその船は明日、私の目の前に現れるかもしれない。