本屋で見つけたこの本、帯に書いてあった「携帯を握り締めても思い出はできない」という一言とAmazonの紹介文で自分に重なる部分が多いなと思ったのでKindleで購入。
「夢がない」「恋愛に憧れるが踏み出せない」「やりたいことがない。でも体力も情熱も焦りもある。」「友達がいない」「SNSから離れられないけど、いいねとか共感とかにはもううんざり」…周囲には見せないけれど心の奥底に抱えるさまざまな悩みを持つ、今を生きる若者に贈る、青春の破壊ストーリー。
「悪足掻きでもいいから、間違っててもいいから、とにかく夜は出かけろ、とにかく話せ、戦う価値があるものを見つけたらとにかくそれと戦え」
Amazonのレビューでも指摘している人もいるがこの話にあまり物語性はない。
ゆえにこの本の感想は読後自分が他人との距離の取り方について思ったことをつらつらと書く。
空虚な毎日、枯れ果てた心に何かを満たそうとする姿勢。
しかし、実際には何をやっても満たされない登場人物たち。
自分と比べるには小説の登場人物たちは恋をしたり、犯罪を企てたり、コミュニティを作ったりとあまりに多くのことをやっているが気持ちは何となく分かる。
他人との距離の取り方
満たされない心を埋める一番大事なことは他の誰かのために何かをやってあげて喜んでもらうことだと思うのだが、私はあまり何かを誰かと共有したいと思ったことがない。そんなものには意味がない、見返りがない、それは表面だけの言い訳であることは分かっているのだが。
実際は自分が何も感じないこと、自分が物事に大してシラけてしまっているという事実から目を背けたいのだろう、まだ自分では何も成し遂げていないくせにね。
そしていざ何かいいと思ったものがあってもそれを人に話すだけの自信がない、感情をうまく表現できない、相手に否定されるのが怖い、何かいいこと・おもしろいことを言わないといけないと自分で自分のハードルを上げてしまっているのかもしれない。
結局それは突き詰めればコミュニケーションにおいて相手に対していつも自分が取ってきている態度だ、つまらない人間につまらないと言ってしまう(もちろん実際には言っていないがニュアンス的に)。
相手を否定しない、聞き役に徹する。最近誰かとしゃべるときに意識していることだが自分自身は否定されることを恐れているのだ、私は私自身でコミュニケーションへのハードルを上げてしまっている。
どうせ自分を偽っての会話や人生は長くは続かない、そんなことをしても会話や人生の内容は薄くなってしまい社交辞令のようなことを続ける毎日になってしまう。
いざ深い話題や個人的な話題になった時でもどこまで話していいか、聞いていいか自分で探っているところがいやらしいと自分では思う。
自分の思ったことを素直に率直に後先考えずに話せる間柄というものがとても大事なのかもしれない。