紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

試合に出られなかった自分に足りなかったもの(前編)

高校生の頃、ラグビー部に所属していた。

その地域では部員のほとんどが高校でラグビーを始める。必然的に15人のレギュラーは経験年数が多い3年生が中心になる。

 

私が高校3年生になって入部してきたその一人の1年生は次元が違っていた。親の転勤で引っ越してきたその選手は中学ではラグビー強豪校、何かの選抜メンバーにも選ばれていたらしい。

 

あっという間にレギュラーは取られた。いくら練習しても追いつける気がしない。しかし自分も高校3年間の部活をベンチなんかで終わらせたくない。まだ部員100人規模の全国大会常連校だったら分かるが、ここでは3年生の部員で試合に出られない人のほうが少ない。

 

まだ根性論しか知らなかった自分、練習は嘘をつかないと思っていた。

朝は近くの公園でパスを投げてから授業へ行った。全体練習終了後もパスを投げた。

しかし実力の差は開く一方。アタックがだめならディフェンス、などあらゆる角度から自分の強みを探したがラグビーのプレーに関する強みは一つもなかった。

 

「何とかしなければ」、逆境から這い上がったスポーツ選手のテレビ番組や本もいまいち自分とは重ならない。為末大のように競技を変えることもできなければ本田圭介のようにいくらヘタでも世界を舞台に闘うマインドも持ち合わせてはいない。

 

試合に出るための解決策は見つからないまま、最後の大会は迫っていた。

答えはなかった。しかし解決への糸口は漫画「あひるの空」にあった。

 

欲しいのは同情なんかじゃない
欲しいのは“信頼”だ

  日向武史、「あひるの空(21)」、講談社コミックス より

 

 

あひるの空(21)

あひるの空(21)

 

 

私は自分を敗者だと決めつけていた。練習熱心だけど試合には出られない悲劇のヒーローを演じたいだけだった。試合に出たいと口では言うくせにいざ試合に出て実力を比べられるのが嫌だった、自分のせいで負けるのが怖かった。

まだ引退していなかったが最後の試合に負けた後、「俺も試合に出たかった」などと泣きながら語る自分までもが想像できてしまっていた。自分は同情が欲しかったのかもしれない。

 

自分に必要だったのは信頼されるプレイヤーになり、試合に出るという覚悟だった。いつかは負けて終わる高校の部活動、私は「終わり方は自分で決める」と新たな姿勢で練習に臨むようになった。