紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

生き方の多様化と共に目標も多様化すべき

こんばんは.

 

こんなニュースが最近あった.

【茨城新聞】246人「自殺考えた」 最近1年間で、つくばの研究者ら

 

ドイツ人元Jリーグ監督が"部活"に抱いた違和感「練習が休みと言ったら全員喜ぶ」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

上記2つのサイトに記載してある通り,自殺を考えるほど研究に満足感を得られていない人もいれば,部活の練習に打ち込むことができない生徒もいる.

会社での過労死のニュースは現在も後を絶たない.

今日はなぜ現代社会においてそんなことが起こってしまっているか考える.

なぜやりがいを見いだせないのか

仕事や部活の練習に対してはノルマや目標を設定し,それを達成することで満足感を得ることができなければやりがいを見出すことはできない.

 

研究者であれば研究で結果を出すことはもちろんのこと,論文の投稿や研究費の申請がノルマとして課されているのだろう.

部活動であればチームとしての勝利,県大会や全国大会への出場が課されているところが多い.

2つ目のサッカー部に関する記事では練習が義務的になってしまっていると指摘している.義務的にやらされている仕事や練習では満足感を得られないということだ.

 

一人一人の満足感を上げるための取り組み

研究者の中でも成果を上げてスポットライトを浴びるのはほんの一部の人間だけである.高校や大学の部活動でもまたしかりだ.強豪校のチームスポーツでは試合に出場するのは10人程度なのに部員が100人を超える部活なんてざらにある.

昔の記事だがこんな取り組みを見つけた.

www.jsports.co.jp

大学ラグビーの強豪校の一つである流通経済大学ラグビー部は大学日本一を目指しているが試合に出られる見込みのない選手は正月とかに放送されるような試合に出るチームではなく,同じ流通経済大学ラグビー部という団体でありながら他のチームに所属し,社会人チームなどが所属する他のリーグ戦に出場するそうだ.

 

これなら一人一人がどんな競技レベルであっても試合に出場できる機会が多くなり,試合に向けた目標を立てやすくなったり,反省がしやすくなり満足感が増加するような気がする.個人のモチベーションアップにもつながるだろう.

 

さいごに

研究にしてもスポーツにしても取り組んでいる人に対してその頂に登れる人(例えば教授になったり,ノーベル賞を取ったり,全国大会で優勝する)はほんのわずかだ.

今は世界との競争もより一層激しくなっている.

組織として一つの目標を定めることは大事だが一人一人がどのようにその組織や目標に貢献するかはその人が自分で考える必要がある.生き方や働き方,幸せの定義も多様化している現代社会.自分で目標も決めていかないと無駄な情報に流されてしまう人生になってしまいそうですね.