こんばんは
先日は日本人がノーベル医学賞を受賞した。
昨年に引き続き、日本人がノーベル賞を受賞できたということで、ニュースでは盛り上がりを見せた。しかし近年の日本の研究環境ではすぐに「役に立つ」研究が求められ、基礎研究がないがしろにされているという話もよく耳にする。
さてこんな記事を見つけた。
ノーベル賞を受賞した大熊教授自らが寄稿した記事だそうだが、研究者がすぐに役立つ研究を求めてしまうという姿勢に警報を鳴らしている。
何が将来本当に人類の役に立つかは長い歴史によって初めて検証されるものだという認識が、研究者の側にも求められていると思う
そもそも「役に立つ」とは?
直接テレビでは見てないが大熊教授はマスコミや首相から「この研究は何の役に立つか?」とたびたび質問されていたそうだ。
役に立つとはなんだろうか?この研究を生かした新薬の開発ができるのか?難病の原因特定ができるのか?疫病の蔓延を防げるのか?
そんなこと誰にもわからない。わかっていたらとっくにみんなやっているはずだ。
先ほどの引用でも述べたとおり「何が将来本当に人類の役に立つかは長い歴史によって初めて検証されるもの」なのであり、すぐに役に立つ研究だったらみんなやっている。
すぐに役に立たない、役に立つかもどうかわからない、研究をするのが大学という機関だと思っている。役に立つ(具体的に研究を生かして商品化する、社会問題を解決するなど)ものなら企業や政府が金と人をかけてやっているはずだ。
今でこそ産学連携で大学と企業が一緒になって研究開発、商品開発をしている例はあるが、大学は基本的に何十年も経ってからその研究や技術が実際に人目に触れるような最先端の研究をやるところだと自負している。
そうはいっても研究がどう役立つかどうかを説明できなければいけない
しかし、研究にはお金が必要だ。学生である私が実際に研究費を集めているわけではないが、研究室の先生はこの研究がどう役立つのか書いて国に研究費の申請をしたり、研究室の技術がどのような商品に応用できると資料を作って企業と共同研究を持ちかけたりと忙しい。
学生が論文を書くのだって、はじめの部分はこの研究を何のためにやっていて、どう役立つのか書くのが普通だ。
しかしそんなものはすべてこじつけのようなものだ。
「将来はこんな世の中になるはずだからこんな研究必要だよね」
「我々の研究はIoTに役立つ技術です!」
そんな世の中になるかどうかすらわからないのに、平気で論文に書いたり、学会で発表したりしている。将来の話だから仮定で話してもいいと思うし、専門家でない一般の人たちを説得するにはいい材料になるはずだ。
今はまだこじつけのような説明しかできない研究でも、関係各位が知恵やアイデアを出し合えばきっといい考えが浮かんで、今はまだ役に立つかどうかわからない研究でも人間社会を豊かにするために役立ってくれると信じて研究がんばりましょう!