こんばんは
お盆休みということでつかの間の休日。映画「悼む人」を見ました。
原作は2008年に直木賞を受賞した作品。
あまり内容には触れませんが率直な感想を述べると生きているには生きているなりのしがらみや苦しみがある。だからと言って死が正解ではない。生きている人は死者の想いを背負いながら生きるとはどういうことなのか考えることが大切なのではないだろうか。といったところでしょうか。
悼む人
主人公、坂築静人(さかつき しずと)は死者を悼む人。
「悼む」とは
《「痛む」と同語源》人の死を悲しみ嘆く。
死者に冥福を祈る、これを静人は否定する。信仰している宗教の祈りなのか、これも静人は否定する。本人も明確な説明はできず、自分は病気だと開き直る。静人は旅をしながら死者を悼んで回っている。悼むことによって死者が生きていたときの姿を想い、また残された人々の心に刻まれているということを想う。
静人は死者を悼む時、死者と残された人々との関係性を知りたがる。死者がどういった人々に感謝していたか、どういった人々に愛されていたか。
生きるということ
私自身昨年、一昨年と祖母、祖父を亡くしました。だから今年は三回忌、一周忌があったのですが三回忌の時のお坊さんが言っていました。
「こういった法事ごとがなくても、毎日亡くなられた人に祈りをささげることが大切です」
正直何を言っているかわからないお坊さんのお経を聞くのは退屈です。お坊さんは悼む人なのかどうかはわかりません。節目の年にお坊さんの退屈なお経を聞くよりも毎日少しでもいいから死者に祈りをささげることが本当に悼むことなのではないかと私は思います。(決してお経を否定しているわけではありませんので悪しからず)
この作品中では主に不慮の事故で亡くなってしまった人や殺人事件の犠牲になってしまった人など、不慮の死で亡くなった人を悼むのが中心になっています。
しかし日常を考えてみると亡くなってしまう人というのは高齢者が中心なのは言うまでもありません。高齢者になるほど癌になったり病気にかかったりして、亡くなる確率は高くなります。
複数のサイトで調べてみると日本では1日に3000人以上の人が亡くなっているそうです。
死との向き合い方
まだ20代前半の私でも1年に1人か2人は身近な親戚や知り合いが亡くなる。それだけ我々の生きている世の中で死というのは自然に起こることである。(もちろんそれと同じくらい新しい命が生まれているのだが)
この「悼む人」が直木賞を受賞し、映画化されるということは、今我々は死者との向き合い方を改めて問われているのだと思う。
かつて戦争があったころは人々はみな国のために戦って亡くなっていった(と聞かされてきた)。これから亡くなっていく人々(自分も含めて)は何のために生きているのだろうか。
こんな話を続けていくと宗教みたいになってしまうので終わりにするが、少なくとも私たちが静人のように旅までせずとも少しでも死者を悼むことによって生き方を見直すきっかけになるのではないだろうか。