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大学院生の憂鬱

研究室の中から研究とは一切関係ない事柄を書きます

研究に求められるレベル

こんばんは

 

先日ゼミにて最近の進捗報告をした.

私の研究は電気回路設計だ.

 

 

大学院生に求められているもの

私「~という先行研究を参考にしてこんなものを作ろうと思っています.

  (設計図をパワーポイントのスライドにて見せる)」

 

先生「その論文は~先生の論文だよね(中国の国立大学の先生).

   過去のものを後追いしても意味ないよ,新規性ないじゃん」

 

そして最後には勉強しなおして来いみたいなことを言われた.

落胆した.結構研究はがんばっているつもりだったけど,無駄に終わったのか.なんか萎える.

 

自分の研究を始めて1年ちょっとの学生に中国の国立大学の教授の作ったものを超える性能のものを作れというのか?

 

よっぽど頭がよくないとそんなことは不可能だろう.

 

修士課程の学生にはそんな高いレベルまで求められているのか?

そんなこと言い出したら時代とともに研究が進むほど,分野の研究レベルは上がっていき,求められるもののレベルも高くなっていくではないか.

未来の大学院生がかわいそうだ(笑)

 

修士課程を終える条件とは

以下の記事を見るとこんなことが書いてある

next49.hatenadiary.jp

 

何を持って修士研究として成り立つかというのは分野によって違いますが、少なくとも以下の3つの条件を満たさなければいけないと思います。 ・修士研究のテーマとして取り上げる問題が(ある分野において)解決すべき問題であること

修士研究の成果が(学会に発表できるほどではないにせよ)新しいものであること

修士研究の目的に対して、その目的を達成できたと言える最低限の成果があがっていること

最低限の成果というものがあるんです - 発声練習

 

私の研究室の教授も同じような趣旨のことを言っている.

少なくともその分野で研究をしていくならば中国の国立大学の教授の作ったものを超える性能の新しいものを作れと言っているのだ.

 

過去に誰かが研究していて(それが教授であろうとどこぞの院生であっても),論文が書かれているということは,その論文を理解することさえできれば誰でも再現できるということだからだ.

STAP細胞は論文の通りに実験してもSTAP細胞ができないから論文が撤回されたのだ.

 

指導教員とともに

私たち修士課程の大学院生は研究者の卵だ(と私は自負している).研究の道筋くらいは自分で立てることを望まれているのだろう(もちろんこの道筋も指導教員とともに決めていくのだが)

指導教員は自発的に何もしない学生に対して研究の道筋を変わりに立ててはくれないが,もし私たち学生が研究を進めていく上で迷ったとき,正しい道に導いてくれるくらいの義務はきっとあるはずだ.

 

だから自分が正しいと思ったこと,またこれならうまくいくと思った方法を自分から提案していき,もし間違っていたのならば指導教員が道を正してくれる.

これの繰り返しの過程で新しいものができていく.

 

そんな学生と教員の関係が理想的なのだろう.大学院生は20代前半という貴重な時間と多額の入学金や授業料を払っている以上,指導教員を上手に使っていかなければもったいないんじゃないかな.

 

先ほど時代が進むほど,研究レベルが上がっていき大変だ見たいな話をしたけど,逆に考えれば論文がたくさん投稿され,検討できる材料も増えて,もしかしたら研究がやりやすくなっていくかもしれない.

今できること精一杯やっていきましょうね.

 

それでは