紫色のつぶやき

てんかん、発作なし。日々の学びを適当に。

他人との距離の取り方。「真夜中乙女戦争」を読んで

本屋で見つけたこの本、帯に書いてあった「携帯を握り締めても思い出はできない」という一言とAmazonの紹介文で自分に重なる部分が多いなと思ったのでKindleで購入。

「夢がない」「恋愛に憧れるが踏み出せない」「やりたいことがない。でも体力も情熱も焦りもある。」「友達がいない」「SNSから離れられないけど、いいねとか共感とかにはもううんざり」…周囲には見せないけれど心の奥底に抱えるさまざまな悩みを持つ、今を生きる若者に贈る、青春の破壊ストーリー。
「悪足掻きでもいいから、間違っててもいいから、とにかく夜は出かけろ、とにかく話せ、戦う価値があるものを見つけたらとにかくそれと戦え」

https://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E5%A4%9C%E4%B8%AD%E4%B9%99%E5%A5%B3%E6%88%A6%E4%BA%89-F-ebook/dp/B07CMRN69D

真夜中乙女戦争

真夜中乙女戦争

 

Amazonのレビューでも指摘している人もいるがこの話にあまり物語性はない。

ゆえにこの本の感想は読後自分が他人との距離の取り方について思ったことをつらつらと書く。

 

空虚な毎日、枯れ果てた心に何かを満たそうとする姿勢。

しかし、実際には何をやっても満たされない登場人物たち。

自分と比べるには小説の登場人物たちは恋をしたり、犯罪を企てたり、コミュニティを作ったりとあまりに多くのことをやっているが気持ちは何となく分かる。

 

他人との距離の取り方

満たされない心を埋める一番大事なことは他の誰かのために何かをやってあげて喜んでもらうことだと思うのだが、私はあまり何かを誰かと共有したいと思ったことがない。そんなものには意味がない、見返りがない、それは表面だけの言い訳であることは分かっているのだが。

実際は自分が何も感じないこと、自分が物事に大してシラけてしまっているという事実から目を背けたいのだろう、まだ自分では何も成し遂げていないくせにね。

そしていざ何かいいと思ったものがあってもそれを人に話すだけの自信がない、感情をうまく表現できない、相手に否定されるのが怖い、何かいいこと・おもしろいことを言わないといけないと自分で自分のハードルを上げてしまっているのかもしれない。

結局それは突き詰めればコミュニケーションにおいて相手に対していつも自分が取ってきている態度だ、つまらない人間につまらないと言ってしまう(もちろん実際には言っていないがニュアンス的に)。

相手を否定しない、聞き役に徹する。最近誰かとしゃべるときに意識していることだが自分自身は否定されることを恐れているのだ、私は私自身でコミュニケーションへのハードルを上げてしまっている。

どうせ自分を偽っての会話や人生は長くは続かない、そんなことをしても会話や人生の内容は薄くなってしまい社交辞令のようなことを続ける毎日になってしまう。

いざ深い話題や個人的な話題になった時でもどこまで話していいか、聞いていいか自分で探っているところがいやらしいと自分では思う。

自分の思ったことを素直に率直に後先考えずに話せる間柄というものがとても大事なのかもしれない。

工場研修で感じた“カイゼン”

私はとある電機メーカーの新入社員。現在はメーカーでおなじみの工場研修をやっている。工場といえばよく聞くのは”カイゼン”だろう。

トヨタのような自動車メーカーだけでなく、電機メーカーでも、食品メーカーでも製造現場でコストの削減や安全性、品質を高めるためは現場が常に進化をし続けなければならない。

 

改善とは

作業効率の向上や安全性の確保などに関して、経営陣から指示されるのではなく、現場の作業者が中心となって知恵を出し合い、ボトムアップで問題解決をはかっていく点に特徴があります。

カイゼンとは - コトバンク

私の会社ではおおむね上記のようなことを改善と呼んでいる。

その会社や出版されている様々な本、ネットの情報などを見ていると改善の目的は様々ある、よく見るのは「コスト削減」「品質向上」「安全性向上」などだろうか。

結局最終的な目標は下記に紹介している「トヨタ生産方式」でも言っているとおり「徹底したムダの排除」である。

 

トヨタ生産方式の基本思想は「徹底したムダの排除」である。

 

トヨタ生産方式――脱規模の経営をめざして

トヨタ生産方式――脱規模の経営をめざして

 

 

私が感じた改善の本質

まだ私にノルマはないが勤続年数が多い社員は一定期間ごとに現場を改善し、報告しなければならないという慣習が私の会社にはあるようだ。社員の人数も多い中、現場を改善するにもどうしてもネタ切れになってきてしまう。その結果、依然改善した現場を「あまり効果がなかった」と言ってもとに戻す、それを改善としてしまうこともあるようだ。

 

まだ現場をあまり知らない私が思ったこととしては、改善後、だれがやっても同じようにその改善の恩恵を受けることができるものが改善だと思う。たとえば入社して間もない社員であったり、臨時で来る派遣社員でも同じように品質、安全性を向上できなければならない。

自分が左利きだからと言って机の上のよく使うものを左側に置いたり、作業の手順を自分でやりやすいように変えてみる。それは作業のコツやノウハウの問題であって改善活動ではない。

 

誰がやっても「同じ品質」のものを「同じ時間」で「同じ個数」作ることができるのが理想の現場である。そのような現場を目指すために経営者側ではなく現場で作業をしている人々がボトムアップ式で改善をしていかなければならないのだろう。

なぜ会社員には仕事がつまらなそうな人が多いのだろう

周りに心から日々の仕事を楽しんでいる人はいるだろうか?

私の周りにはほとんどいない、管理職は部下に激を飛ばし打ち合わせや会議に忙しそう、部下は周りの人や仕事への愚痴ばかり。まるでその不満因子さえ消えれば仕事というものがとても楽しくなるかのように語る人もいる。

働いてお金をもらうということは誰かの利益になるようなことをしなければならない。顧客満足のために程度の差はあれど、ある程度の我慢が必要なのは理解できる。

 

本来自分の好きなことを仕事にできればこれ以上の幸せはないだろう。しかし人気のYouTuberだってネタがなくなり犯罪まがいなことをしてしまう人も中にはいる。なぜなら見てくれる人に面白い動画を公開し、広告費を稼がなければいけないからだ。

 

話は変わるが私は最近ワールドカップの盛り上がりにより、小さいころ一度は聞いたことある名選手を調べるのにはまっている。ベッカムジダン、カカなどの動画やウィキペディアを見ているだけなのだが。

 

その中で元ブラジル代表のロナウジーニョは特に印象深い

高いテクニックから生み出される独創的なプレーや、試合中にもしばしば笑顔を見せるサッカーを楽しむプレースタイルからファンタジスタと呼ばれた

ロナウジーニョ - Wikipedia

YouTubeで動画も見たがプレーの技術がすごすぎて相手チームのファンから拍手をもらうレベル

www.youtube.com

 技術が突出しているから楽しめるのか、楽しんでサッカーをしているからこんなにも活躍できるのか。いずれにせよこれほどサッカーという仕事をこれほど楽しんでやっている人は見たことない。本人がどういうスタンスでサッカーをしていたかは分からないが、おそらく現役中のロナウジーニョであればどんな逆境でもサッカーを楽しめていただろう。

 

一般の会社員とロナウジーニョを比べるのはあまりにもお粗末な比較だ。しかしロナウジーニョであれば我々の日々つまらないと言われる仕事の中にもサッカーと同じように楽しさを見いだせるのではないかという期待をしてしまう。

 

きっと我々の日々単調な仕事の中にも必ず楽しさが潜んでいる。それは考え方を変えればわかるのか、誰かに聞けば教えてくれるのか、答えは分からない。

まあそれでもいいんじゃないか、楽しさは自分で見つけ出したほうがより楽しさが増すというものだ。

目的が単純なほど戦略は複雑化する

先ほどサッカー日本代表はコロンビア代表に勝利したばかり。

news.yahoo.co.jp

 

勝利の要因はセットプレーや流れの中でもチャンスを作り出したこと、相手が一人少ない中でボールキープが長い時間出来たこと、素人の私にわかるのはそれくらいか。

 

ツイッターを眺めながらでの観戦だったが実に両国に対する意見は実に様々なものがあった。

日本に対するツイート

  • 大迫半端ない
  • 日本らしさなんてない
  • 人数の優位性を活かしている

 

コロンビアに対するツイート

  • 一人少ない中での戦い方がよくわかっている
  • 組織がしっかりしているのは日本よりコロンビア
  • ハメスが使えない

 

サッカーで勝利を収めるには相手よりも1点でも多くのゴールを決める、単純なことだ。ワールドカップのグループリーグなどでは強豪国と引き分けを狙うという目的もあるが、できることならどの国も勝利が欲しいはず。

 

しかし、戦い方はチームによって実に様々だ。キープレイヤーを中心に個の力で押し込んでいくチームもあれば、組織力と戦術でチャンスメイクを量産するチームもある。フォーメーションやセットプレーなどはもちろんのことリーグ戦での対戦順、天候。FIFAランキングを見ても分かるとおり、力差では決して勝てなさそうなところから勝利をつかむために細部に至るまで入念に準備をする必要があり、最後は運までも見方にする必要があるのだろう。

飲み会の価値

東京にいる大学の友達から連絡があった。

「今週末飲み会あるんだけど東京まで来ない?」

「暇だから行くよ」

 

二つ返事で承諾して土曜日の朝、長野から高速バスで東京へ向かった。

久しぶりに会った友人も社会人になって早2ヶ月。近況報告や他愛もない昔話、すでに残業がキツいとかあいつが結婚するらしいなど話題は尽きず解散は日付を超えていた。ひさびさに何の気も使わないで飲み会ができるという楽しさは格別だった。

 

次の日帰りは新幹線で帰ったがふと今回の飲み会の費用対効果を考えてしまった。高速バスと新幹線での移動、さらに飲み会。もちろん、金に余裕はあるのだがそこまでの価値があったのか疑問が残る。

結婚式など特別なイベントならば別かもしれないが残念ながら飲み会のためだけに東京に行くのは間違っているとの結論に達した。

 

単に「楽しかった!」で終われずに飲み会のコスパなどを考えてしまうところが私の悪い癖。自分にはすでに新しい生活が始まっている。時間もお金も限られている。自分を取り巻く環境、付き合う人々も今の自分の環境に合った形に少しずつ変えていかなければいけないのかもしれない。

人生は可能性を捨てていくことだ

高校の卒業式、最後のホームルームで担任の先生は言った。

「君たちの未来はこれからどんどん狭くなっていく。人生は選んだり掴み取るものではなく、可能性を捨てていくことだ。」

 


とても未来ある高校生の門出を祝う言葉とは思えなかったのを覚えている。

そこから先生はもうこのクラスにプロ野球選手になれる可能性のある奴はいないという例を示した。

私たちは今この瞬間の行動を自分で決める選択肢を持っている。今この時間を私はブログの執筆にあてているが、リフレッシュのための運動をしてもいいし、読書にあててもいい。たとえ仕事中であってもその時間に仕事をすることを選択した結果である。

何かを選ぶということは他のあらゆる選択肢を捨てることだ。そして本来、人が選んだその行動は他のあらゆる選択肢を捨ててまで選んだ結果なのだから私はあまり他人の行動に口出しをしたりしない。もちろん迷惑行為や犯罪行為は他人の選択肢を奪っているという意味でダメだというのはいうまでもない。

 

今日も貴重な時間を私のブログ読むのに使ってくれてありがとうございました。